中澤琴を調べると、確かに新徴組で活躍していました。
ただ、女性なので正式には、新徴組の隊員ではありません。
ただ、とてつもなく強く、男装してまで入りたいので
隊長も苦笑いし、隊員服も刀も与えた。実質隊員と同じ扱い。
出身は群馬県の老神温泉の裏、穴原という、細い山道を通らないと行けません
月山のあと、たまたま老神温泉に行く機会があり、なんとか穴原まで
行き、近くを歩いている年配のご婦人に中沢琴のお墓の場所をききました。
「琴さんのお墓ね、すぐそこだよ」と教えてくれました。
「女剣士 中沢琴」があり、かわいい花が添えられていました。
その前には「中沢貞よし」の大きなお墓。中沢琴の兄で、新徴隊、1番隊、2番隊の隊長。
当時、この穴原には3000人の門弟を誇る「法神流」の道場があり
兄は道場の跡継ぎ。法神流は「天狗の剣」と言われていて、ちょうど赤城山の
裏斜面の森林の中を飛び回って訓練していました。
極めて実践的だったと思われます。荒っぽい剣かと思われますが、
昭和の剣聖をうたわれている「持田盛二」10段は法神流出身です。
天皇陛下の御前で行う「天覧試合」で優勝しています。
すごくきれいな剣で、持田先生が80歳の時、三島由紀夫(4段)が
稽古で、最後まで先生に触れることができなかったといって言います。
中澤琴は1927年10月まで存命なので、おそらく持田10段は中沢琴と
穴原の道場で会っているはず。
思うに、中沢琴の父親は巨大な道場の道場主、兄の貞よし含め
殺し合いの現場になるかもしれない江戸にいくのを、よく許したなと
思います。
当時の女性の身長が平均140cn。
中澤琴が170cm。
なぎなたは、道場主の父親、剣の達人の兄より強かった。
言っても聞かないと、覚悟を決めたのでしょう。
よく二人とも生きて帰ってきたと思います。
琴は庄内地方で、薩摩の示現流の達人達十数人に囲まれ、3人位切り倒し
脱出したと記録にあります。
穴原に帰ったあとも、琴に試合で勝てば、琴が結婚してくれると言うので、
日本中から挑戦者がきて、挑戦者はことごとく負け、挑戦者と琴は一緒に酒を飲み、歌って、踊って
余生を送っていたらしい。





